希望、生活感とは

旦那さんの実家に行ったあとは、いつもご飯を丁寧に作っている。
自覚があるときもあれば、今朝のように「朝ごはんちゃんとしてるね」と言われて気づくことがある。

今までの「母親」像が自分の母しかなかったところに、旦那さんのお母さんが新しく入ってきた。これが非常に新鮮。


家事仕事で、1番影響を受けるのは、料理(他は見る機会がないからかもしれない)。おいしいおかずが数種類。小鉢に薬味やご飯のお供が並んで、デザートが付く。
失礼ながら、お勝手を覗くとボールや鍋がごったに置いてあって、だしなどの調味料もいろいろ使い込まれた容器に入って置かれている。


インテリア雑誌を見ても、いまいちピンとこないのは、なぜだろうと思っていた。
生活感とはなんだろうと、と旦那さんの実家から帰るたびに思い、自分ちの居心地やお勝手ごとを振り返る。

我が家のお部屋会議

年に何回か、どちらともなく「模様替えが必要だ」と言い始め、お部屋会議が開催される。
面白いなぁと思うのは、スタート地点がいつも「どんな部屋にしたいか、イメージは?」であること。
今回は、物置になっていた勉強机から端を発し、家の中で「リラックス」「勉強」「楽器」の3つの空間を作り上げることになった。

広すぎるリビングを、カラーボックスで作った壁で二分し、「リラックス」と「勉強」空間を作る。今まで物置だった洋室を、隣家から離れてるという強みの元に「楽器」にした。
ついでに、これは個人活動だけど、仕事に使うかもと取っておいた授業や実習の資料、基礎的な教科書を屋根裏へ送り込んだ。とりあえずの収納としては、屋根裏は最強だ。


毎回お部屋会議をする時に思うのだか、こういうイメージの擦り合わせって他人と(恐らく)死ぬまで共に生活する上で重要なんじゃないかと思う。

幸いなことに、夫と私とは思考がよく似ているため、擦り合わせが大喧嘩になることは少ない。それでも相手の新たな思考「過程」を辿れる面白さといったら非常に新鮮なのである。





もう一つやりたいのは、いわゆる断捨離と呼ばれるものだけど、これはまたの機会に。

最後の日記が七月。気づけば、もう九月なのだ。この時期まで暑さが続くと思ってただろうか?(反語

相変わらずの毎日。聴く音楽が少し変わって、生活リズムも意識して変えた。いろいろ、自分に決まりごとを作った。あんがいと、強い拘束感もなくやっていけている。


一時期の熱さはもうなくて、なるようになれ、という心持ち。穏やかになった。年かな。

3回目の発表会。東京では、2回目。あのホールは、響きが好きで、空間も好き。

今回は、旦那さんと共演だったので、リラックスも出来て、逆に緊張もした。むしろ1人の時より緊張した。アンサンブルって、怖い。久しぶりにやったら、とても怖かった。

出来は相変わらずひどいもので、共演者も「もうちょっと弾けると楽しいのにね」と。

残念なことに、うまくなる自信がない。なぜだろう?と思ったら、十数年同じ楽器をやってきたこと・音楽に対し、経験・場数は積んでいること・苦手な部類の動きをすること、なんじゃないかと思う。

こないだ聞いたこと。楽器始めたいと言うから、やってみたらと言ったら、「うまくなるまでが面倒くさい」って。あぁ、そうなんだよなぁ、って妙に納得した。

何が正しくて、何が誤りかなんて、今となってはわからない。
あなたの見解は、確かに正しいかもしれない。でも、そこに、他者はいたんだろうか?


三者の視点があってよかった、と言われた。わたしも、役に立てたならよかった。


あの時のあの動作、なんとなく予感はしたんだ。あの味は、忘れません。